夢番地
RADWIMPSの大ファンだ、といえばおこがましい。
だけど、僕が大学生の頃、大好きで聴きまくってたバンドのひとつだ。
最近の曲を殆ど聴かなくなってしまったいま、ご承知のとおりエライことになってる。
僕は、なんて言えばいいんだろう・・・
頭を抱えながらも、少し答えが見つかりそうな気がして、この文章を書いている。
事件のあと、「HINOMARU」とついでにノータッチだった「五月の蝿」の歌詞を初めて見た。
いったいどうしちゃったの・・・・・・・
右傾化というより、昔みたいな多幸感と違うベクトルで、ここまで極端な言葉を選ぶバンドになってしまったのかと思うと、ショックで仕方がない。
「五月の蝿」は特にきつい。
「年間3万人の自殺者を救いたい」という昔のキャッチフレーズは大げさだとしても、
彼らの昔の曲は幸せな気持ちになる曲が沢山あった。
それが、今や沢山の対立の火種の元になってしまった。
どうしたらいいんだろう。やるせない気持ちでいっぱいだ。
事件の直後、野田君はすぐにコメントを発表した。
ほんの少しだけだが、救われるものがあった。
内容は腑に落ちるものではなかったが、ファンの疑問に答える心はちゃんとあったのか。
昔から野田君は浮世離れしたところがあった。
今回はそれが裏目に出てしまったのかもしれない。或いはタブーを破りたかったのか。
例の2曲で、「変なカルトに憑かれてしまったのか…」と思いかけたが、ひとまず懸念は拭えそうな気がする。
昨日、仕事帰りに久々に「夢番地」を聴いたら、しばらく胸がジーンとしてしまった。
めっきり聴かなくなった今でも、僕の中にRADWIMPSの遺伝子はそっと紛れ込んでいるのだろう。
昔のように彼らを信じることは、最早できないと思う。
だが、風向きは変わらないとも限らない。
今は、事態の沈静化を待つしかない。
でも、今回の痛い経験が長い目で彼らの糧にならないとも限らないのだ。
気休めだとしても。
何よりも、RADWIMPSは僕にとって素晴らしいと思える曲を過去に作ってきた。
そこは、間違いないんじゃないかな。
正直、デリケートな話なので、本件を言葉にするのを躊躇う気持ちもあった。
だが、自分の心のケジメとして、下手くそでも日記を書いてみた次第だ。
今、すこしだけ胸のつかえが取れた気がする。
もう一度、夢番地でも聴いてみようかな。とてもいい曲ですよ。